2020年は中止になってしまった東北の夏祭りたちをご紹介するシリーズ。
昨日まで4日にわたって青森ねぶた祭を特集してきましたが、今日からは秋田竿燈まつりです!
稲穂のようにきらめく竿燈がお囃子とともに町を練り歩く、秋田竿燈まつり。
昨日までお伝えしてきた青森ねぶた祭、そして後日連載予定の仙台七夕まつりと並んで東北三大祭りに数えられ、例年8月3日から6日まで、秋田市中心部で行われます。
祭りの本番は夜ですが、期間中、8月4日から6日の日中には「昼竿燈」として、竿燈の差し手が技を競う妙技会もあります(明日の記事で詳説)。
本ブログでは、今日と明日の2回に分けてお伝えしていきます。
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【本日の記事】
【明日の記事】
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1.秋田竿燈まつりの黎明
秋田の竿燈の原型となったのは、江戸時代の「ねぶり流し」だと考えられています。
「ねぶり流し(眠り流し、ねんぶり流し)」自体は日本のあちこちに伝わる風習で、農作業の睡魔を追い払ったり、真夏の病魔や邪気を払うため、今も地域ごとに様々なスタイルで行われています。
秋田の場合は、もともと秋田市周辺の地域に伝わる「ねぶり流し」が、願い事を書いた短冊を笹やネムノキに飾って町を練り歩いて最後に川に流すという、七夕行事と融合したタイプのものだったようで、それが時代とともに短冊ではなくロウソクに変わっていきます。
ロウソクが使われ始めたのはロウソク自体の普及が進んだことに加え、お盆になると門前に掲げる高灯籠の風習(これも秋田に限らず日本各地に残っています)とも関わりがあるようです。
少なくとも1700年代後半には、長い竿にたくさんの灯火を付けて、太鼓を打ち鳴らしながら町を練り歩いていた、という記録が残っています。
現在の祭りではもちろんロウソクではなく電球を使っていますが、「長い竿+灯かり」という秋田独特のスタイルは、実に300年近くも続いていることになるのです。
2.米どころで発展した祭りの現在
真夏の病魔や邪気を追い払う「ねぶり流し」が七夕やお盆の風習とあわさり、時代とともに健康と五穀豊穣を願う現在の祭りへと発展してきた秋田竿燈まつり。
その提灯が米俵に見立てられ、そして竿燈(竿(さお)+燈(あかり))全体が稲穂に見立てられるその姿は、米どころ・秋田ならではの進化と言えます。
あきたこまちのふるさとであり、新潟県・北海道に次ぐ全国3位の米生産量を誇る秋田県では、美味しいお米が無事にたくさん穫れることが一層重要であるとともに、一層の誇りでもあるからです。
昭和年間には町内単位で祭りに参加するようになり、現在も提灯にはそれぞれの町内を象徴する町紋が入っています。
もっとも大きいタイプの竿燈は長さ12メートル、46個の提灯が付けられ、重さは50キロ。
これを人ひとりで支えて練り歩くわけですから、力と技の両方が要求されます。
米どころ秋田の誇り、そして町内の誇りを、竿燈の重みとともに背負って歩く差し手たち。
その背中には、「竿(さお)」と「燈(あかり)」というごくごくシンプルかつ美しい祭りの魅力がぎゅっと凝縮され、見る者を魅了し続けます。
1980年には国の重要無形民俗文化財にも指定された秋田竿燈まつり。
実は昼と夜では別の顔、別の魅力を持ちます。
次回の記事では、
をお届けします!