みちなるみちのく

東北180市町村を回った筆者が、あなたの知らない東北(みちのく)をご紹介します。

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あの日から4年 初めて岩手県に上陸した台風が残したもの

今日8月30日は、4年前の2016年台風10号が岩手県に上陸した日です。

夕方に岩手県大船渡市付近に上陸した台風10号は、岩手県の沿岸部と呼ばれる地域を中心に記録的な雨を降らせ、岩手県内だけでも20人を超える人の命を奪いました。

 

特に被害が大きかったのが、その沿岸部の中ほどに位置する岩泉町(いわいずみちょう)です。

と言っても、台風が上陸した当日は猛烈な雨が降る中で日が暮れていき、詳しい状況がわからないまま夜を迎えました。

 

事態の深刻さが明らかになったのは、翌31日の朝

明るくなるとともに飛んだヘリコプターが、沿岸部の岩泉町宮古市、そして久慈市などが一面浸水している様子を捉え、テレビの生中継でも大きく映されました。

 

そして、土砂や流木が大量に流入していた岩泉町で警察官が住民の安否確認をしていた中、ある高齢者グループホームで、複数の遺体を発見します。

それは、近くを流れる小本川(おもとがわ)が氾濫し、施設が浸水する中で逃げ遅れて溺死した、お年寄りたちでした。

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川の水位は急激に上がり、多くの犠牲者を出した。岩泉町では小本川を含む多くの川が氾濫したほか、土砂災害も多発した。(写真は国土交通省HPより)

この、あまりにも辛い記憶を、未来の知恵につなげるために、岩泉町では今、資料展が開かれています。

(「写真で見る岩泉の水害と復興の足跡」9月30日まで。)

www.iwate-np.co.jp

今日の記事ではこの災害について、当時、東北で気象予報士として働いていた私の視点で、次の3つに注目してお伝えします。

 

1.初めて「太平洋側から」上陸することの威力

2.小さい川だからこその怖さ

3.「避難の準備」とは何か

 

                              1.初めて「太平洋側から」上陸することの威力

2016年より前、東北地方には日本海側から台風が上陸することはあっても、太平洋側から直接上陸した記録はありませんでした

 

台風が接近してくる方角は、雨の降る場所と量大きく影響します。

というのも、まず雨雲が発達するには、湿った空気があること、そして、その空気が上昇することが必要です。

 

台風が東北に上陸する場合、通常は日本海側から接近します。

すると、台風とその周辺の湿った空気脊梁山脈にぶつかって上昇し(専門的には、地形による強制上昇と言います)、日本海側を中心に雨を降らせます。

日本海側で大量の水分を落としたあとに台風が太平洋側へ進むわけですから、太平洋側では相対的に雨量が少なくなるのです。

 

ところが2016年の8月は、台風が異例のルートをたどり、東北へ太平洋側から接近しました。 

(専門的な説明になるので詳細は割愛しますが、上空の偏西風が、通常の8月とは異なる流れになっていたためです。)

海から直接、太平洋側の岩手県に流入した台風周辺の湿った空気は、岩手県の沿岸部と内陸部の境目付近にある北上山地につぶかって上昇して活発な雨雲となり、観測記録を上回る雨を降らせ続けました。  

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海から流入し続けた湿った空気は、北上山地にぶつかると上昇し、活発な積乱雲に。(地形図は国土地理院HPより)

しかも、台風は台風でも、このとき2016年の台風10号は「強い」勢力でした。

大量の湿った空気によって持続的に雨雲が供給され、 「経験したことがない」経路の台風は、文字通り「経験したことがない」雨を降らせました。 

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2016年8月30日午前9時の天気図(左)とレーダー実況図(右)。台風が「太平洋側から」やってくることによって、通常と異なる場所で雨が激しくなった。(天気図・レーダーは気象庁HPより)

                              2.小さな川だからこその怖さ

記録的な雨が降れば当然ながら川は増水しますが、その増水スピードは川ごとに異なります。

なかでも、小さな川というのは、大きな川に比べて速いペースで増水する傾向があります。

大きな川とよりも水を抱えるキャパシティが小さいので、雨水が川に流れ込み始めてから外に溢れ出るまで、猶予がほとんどないのです。

 

岩手県岩泉町は小本川を含め、そんな小さな川があちこちに流れていて、その川沿いに住宅や施設が立ち並ぶ、いわゆる中山間地域(ちゅうさんかんちいき)でした。

 

なお、今回の災害に直接関係はありませんが、大きな川の場合は徐々に増水するため、雨がやんだあとも増水が続くことがよくあります。

大雨が終わって晴れた翌日でも増水し続け晴天下で氾濫することすらあり、見えない恐怖として襲いかかることがあります。

 

つまり、大きい川にも小さい川にも、それぞれの怖さがあるのです。 

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氾濫してからでは逃げられない。川の特徴をあらかじめ知っておくことが必要。

                              3.「避難の準備」とは何か

1か所での被害がもっとも大きかった、岩泉町の高齢者グループホーム。

台風10号が岩手県に上陸した8月30日、平屋建ての施設には午後5時半ごろに近くの小本川から濁流が入り込みわずか10分ほどでもう逃げられないくらい水かさが上がっていたといいます。 

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被災した高齢者グループホームの内部(国の調査チームが2016年10月15撮影)。濁流が1階の天井付近まで迫っていたことがわかる。(写真:内閣府HPより)

当時施設にいた職員はたった1人

平屋建ての(2階がない)グループホームと同じ敷地内には2階のある建物もありましたが、利用者には重度の認知症の人や車いすを利用している人もいて、自力での避難は難しい人が複数いました。

結果的に、亡くなった利用者9人のうち8人が施設の中で、もう1人は流された川で見つかりました。

 

この日、朝9時にはすでに、岩泉町内全域「避難準備情報」が出ていました。

この情報は、一般の人が避難の準備をするだけでなく、避難に時間のかかる高齢者や障害のある人、それに乳幼児のいる家庭などではその時点で避難を始めてくださいという意味の情報です。

もし、この意味通りに行動していたら、雨が強くなり始める前に避難できたことになりますが、当時、グループホームでは施設長をはじめ誰もその意味を知らなかったといいます。


この悲劇を受けて政府は、「避難準備情報」を「避難準備・高齢者等避難開始」という名称に変更しました。

高齢者など避難に時間のかかる人が避難を「開始」する情報であることを、明確にした形です。

 

もちろん、当時「避難準備」の意味が正確に理解されていれば被害が出なかったとは断言できませんし、名称を変更したからといって今後、被害が減るとは限りません

情報の出し方が完全になることはないと同時に、私たちがもっともっと情報を入手し理解しようとする姿勢がなければ再び悲劇が起きることを、決して忘れてはなりません。

 

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1つの災害の傷が癒えないうちにまた次の災害がやってくることを、私たちは日々思い知らされる時代に生きています。

 

生きようとしているどう守るのか。

今、人類の知恵が試されていると、私は思っています。

 

自分にできることは何なのか。

ぜひ、いま一度考えてみてください。

その問いかけこそが、多くの命を奪った台風が残した、私たちへの命題なのです。