今週のお題「間取り」ということで、我が家は2LDK…ではなくて、岩手県には「馬と一緒に暮らす」ための伝統的な間取りが存在します。
馬を道具として利用するだけでなく、家族の一員として一緒に暮らすための間取り。
今日は、岩手の人々の思いやりが垣間見られる「間取り」をご紹介します。
岩手県のだいたい北半分と青森県の一部は明治維新前まで、盛岡藩または南部藩と呼ばれ、南部氏の一族が治めていました。
旧盛岡藩(旧南部藩)だった地域は今も「南部」と呼ばれることがあり、この地域に残る伝統工芸品である「南部鉄器」の「南部」もこれに由来します。
この「南部」と呼ばれる地域、中でも特に今の盛岡市や遠野市の周辺にはかつて、不思議なL字型の農家が多くありました。
これらを「南部曲がり家(なんぶまがりや)」といいます。
L字に曲がっているから「曲がり」家というわけですが、なぜそんな形にする必要があったのかは、間取りを見るとわかります。
つまり、この家に住むのは人だけではないのです。
同じ屋根の下、ひと続きの家の中に、馬も一緒に住む。
南部曲がり家は、そのための家なのです。
奈良時代から良質な馬の産地として知られていたこの地域では、時代とともに軍馬としてだけでなく農耕馬としても馬を利用するようになりました。
畑を耕したり、重いものを運搬したり、木を切り倒したりなど様々な場面で役立つ馬は、農村の人々からとても大切にされてきました。
「家」を家族や血縁の重要な象徴と考えていた時代に、人と馬が同じ「家」に住むというのは、当時の南部の人々が馬も家族の一員と考えていたということです。
南部の人々が馬を特別な存在と考えていたことが窺えるヒントは、民話(昔話)にも残されています。
東北には「おしらさま」という民間信仰がありますが、その由来の一つと考えられる話の中では、農家の娘が自分の家に一緒に住んでいた馬と恋に落ちます。
そのことに怒り狂った娘の父親が馬を殺してしまい、娘は馬とともに天に昇って神=おしらさまとなる…そんなストーリーです。
人と馬が恋をする、そんなストーリーが生まれる源には、この地域の人々が馬を道具としてではなく、人と同じように大切に接していた素地があると思えてなりません。
なお、現存する南部曲がり家は、遠野市の遠野ふるさと村や、盛岡市の盛岡手づくり村で見ることができます。
数多の民話が残り幾度となく私たちのノスタルジーをかき立てる、日本人にとっての"永遠のふるさと"である南部地域に伝わる南部曲がり家。
そこには、日本人の原点の一つがあるのかも、しれません。