昨日から連載でお伝えしている仙台七夕まつり。
仙台七夕まつりは、地元の商店や企業が数か月かけて製作した繊細かつ豪華な約3000本の笹飾りが全国から約200万人を引き寄せる、東北三大祭りの1つです。
昨日の記事ではその笹飾りの魅力について語りましたが、この祭りには実に約400年の歴史があり、東北各地の祭りの中でも古参のうちに数えられます。
今日はその歴史についてご紹介します!
■目次■
1.とにかく豪華!美しすぎる笹飾りたち(昨日の記事)
2.仙台七夕の長い長い歴史(今日の記事)
2.仙台七夕の長い長い歴史
仙台の七夕祭りに歴史が400年もある、と言えるのは、江戸時代のはじめ頃にはすでに存在していたことがわかっているためです。
その起源については、仙台藩を開いた伊達政宗が奨励したために広まったという説もありますが、はっきりしたことはわかっていません。
ただ、江戸時代の間は現在のようなくす玉+吹き流しの形式ではなく、笹に短冊や飾りを下げるオーソドックスなタイプだったようです。
七夕が終わると、笹の小枝は短冊や飾りとともに切り落とし、仙台の中心部から海に向かう広瀬川に流し、太い枝は物干し竿などに使っていたといいます。
なかなかに堅実な習慣です。
なお、川に流すとともに水浴びもしていたようで、お盆を迎える前のみそぎとして七日浴(なぬかび)または七日盆と呼ばれていました。
明治に入ると、暦が変わったこともあって仙台だけでなく全国的に七夕行事は下火になっていきます。
仙台では七夕がなくなってしまったわけではないものの、第一次世界大戦後の不況下にあった大正末期には「とても幕末当時のものとは比べ物にならない」と記載されている書物も残っているほどです。
昭和の時代になって、一気に七夕復活…と思いきや、太平洋戦争による中断を余儀なくされます。
昭和2年の七夕に商家の有志が町内一斉に七夕飾りを出し、翌昭和3年には現在と同じ8月6日から8日の3日間(つまり新暦の7月7日の月遅れ)に開催を定めて、現在と同じようなくす玉+吹き流しの笹飾りだけでなく、電飾や仕掛け物も添えられた豪華な祭りに仙台の街は沸き立ちますが、それも戦況の厳しくなった昭和10年代には次第に姿を消していきました。
仙台七夕が完全復活したのは昭和21年。
空襲を受けた一番町通りの焼け跡に、52本の笹飾りが並びます。
さらに翌昭和22年、天皇巡幸に合わせて沿道に5000本の笹飾りでアーチをつくり、七色に輝く絢爛豪華な光景は全国的にも有名になりました。
困難に遭っても、何度でも立ち上がる。
仙台の七夕はそんな市民の強い意志に支えられていて、2011年には東日本大震災の発生からわずか5ヶ月弱の厳しい状況の中でも、復興への祈りとともに開催されました。
そんな仙台の七夕では、願いのこもったユニークな飾りを見ることができます。
明日の記事では、3."紙"に込める思いをお届けします!