岩手県の南部、一関市(いちのせきし)には「鬼死骸(おにしがい)」という衝撃的な地名の痕跡が残っています。
伝説ではこの地に、約1200年前に征夷大将軍・坂上田村麻呂によって退治された鬼が眠っているといいます。
今週のお題「鬼」に合わせてお送りするのは、時を超えて語り継がれる岩手の「鬼」伝説です。
一関市は岩手県南部の中核都市で、新幹線の駅もあり盛岡に次ぐ県内第2位の人口を擁する市です。
この一関市の一部で、現在は真柴地区となっているあたりは、かつて「鬼死骸村」と呼ばれていました。
その由来は約1200年前の平安時代、東北を平定するため都から派遣された征夷大将軍である坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に退治された鬼の死骸が、この地域に残る巨石の下に埋められているという伝説です。
退治された鬼は「大武丸(おおたけまる)」といい、坂上田村麻呂は苦戦の末に大武丸の首を斬ってその体を巨石の下に埋め、蘇り(よみがえり)を封じたといいます。
(画像リンク元は下記URLのHP)
さらに近くの高台に神社を勧請するという念の入れようから、大武丸がいかに強敵だったかが窺えます。
その神社は鹿島神社といって今も残っていて、鬼を封じた「鬼石」と県道260号線を挟んで向かい合う位置にあります。
付近には大武丸の死骸の一部または子分の死骸が埋められているとされる「肋石(あばらいし)」まであり、まさに鬼の死骸がある場所ということで鬼死骸村と名付けられるに至ったようです。
市町村合併により村がなくなった後も2016年まではバス停の名前として「鬼死骸」が残っていて、近年パワースポットとして話題になったことをきっかけにバス停跡を休憩所として建て直したり、停留所の標識版を模した案内看板をモニュメントとして作ったりと、観光資源として盛り上げようという動きもあります。
「氷室想介」シリーズなどで知られるミステリー作家・吉田達也の作品『鬼死骸村の殺人』でかつて舞台になったことや、最近の『鬼滅の刃』ブームの影響もあって、じわじわと知名度が増しているようです。
ちなみに、大武丸は首を斬られてその「体」が巨石の下に埋められた…と書きましたが、実は首(頭)については別の場所に伝説が残っています。
斬られて飛んで行った首は現在の宮城県大崎市のあたりに落ちたとされ、その地名は今も「鬼首(おにこうべ)」。
名前は怖いですが、現在は温泉地としても有名で、風光明媚な観光名所も多い地域です。
なお東北の他の鬼伝説にも共通することですが、鬼の大武丸は想像上の生き物ではなく、古くから東北に住み朝廷と敵対していた蝦夷(えみし)と呼ばれる一族の長を指していると考えられています。
一説によるとこのあたり一帯では大武丸のほか、兄の悪路王(あくろおう)や子の人首丸(ひとかべまる)もそれぞれ領主として拠点を持ち、朝廷と対峙して強敵と恐れられていたとされています。
(悪路王は日本史に出てくるアテルイを指しているという説があったり、悪路王が退治された際に建てられた達谷窟毘沙門堂(たつやこくびしゃもんどう)というのが隣の平泉町に残っていたり、人首丸がいた奥州市には今も人首町という地名が残っていたり人首丸の墓が山の中にあったり色々話題は尽きませんが、また別の機会にご紹介します…!)
彼らは追剥や強盗をはたらいた悪人だったという説もあれば、地元の人々に慕われ領地を守ろうと必死に戦った英雄だったという見方もあります。
そして、そもそも数々の坂上田村麻呂伝説は本人が行ったことのない地に関するものや亡くなった後に作られたものが多く、ほとんどが史実からは遠くかけ離れているという指摘もあります。
伝説に残る「大武丸」という存在が一体何だったのか、「鬼」とは一体何なのか、私たちな大きな想像の余地が残されているのです。