みちなるみちのく

東北180市町村を回った筆者が、あなたの知らない東北(みちのく)をご紹介します。

渡辺さんは豆まき不要?!ミイラ残る里では「鬼も内」!(宮城・村田町)

むかしむかし、今から1000年ほど前のこと――、渡辺綱(わたなべのつな)という強い武将がいて鬼を退治したので、今でも鬼は渡辺という名字を渡辺綱の子孫だと思って怖がるため、「渡辺さん」は豆まき不要である。

そんな伝説が広く知られるようになって、だいぶ経つでしょうか。

似たような理由で「坂田さん」も豆まきしなくて良いという俗説も存在しますが、少なくとも渡辺綱に関しては、これで話は終わりではありません

今年2021年は124年ぶりに節分が昨日2月2日でしたが、今週のお題「鬼」に関連して今日お届けするのは、"鬼のミイラ"が常設展示されている宮城県村田町(むらたまち)に残る、人情深い伝説です。


(かつて紅花商人が栄えた村田町には、今も立派な蔵の街並みが残る:村田町公式Facebookより)

渡辺綱という人は、平安時代中期の武将だったとされています。

源氏の子孫で、正式に名乗るときは「源綱(みなもとのつな」)」と言っていたそうで、とても強い人だったそうです。

ある日、羅生門(京都の大通りにある門の一つ)で鬼が悪さをしているという話を聞いた渡辺綱は、単身で乗り込み、格闘の末にとうとう鬼の右腕切り落としました

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歌舞伎の題材としても親しまれた渡辺綱は浮世絵も多く残る(Ukiyo-e.orgデータベースより)。この絵の鬼は、本記事の伝説に出てくる鬼の前に倒したもの。

しかし鬼自身には逃げられてしまったため、その腕を持って家来とともに全国を探し回り姥ヶ懐(うばがふところ)という土地に辿り着きます(一説には、ここが渡辺綱の故郷だったとも)。

すると、姥ヶ懐に滞在している渡辺綱一行を、渡辺綱の伯母が訪ねてきました。

伯母は、京の都で切り落としたという鬼の右腕を見せてほしいといいます。

ここまで石の長持ち(荷物入れ)にしっかりしまって持っていた右腕でしたが、伯母に強く頼まれ、ついに出して見せてしまいます。

すると、伯母は腕をつかんでみるみるうちに鬼の姿に変わっていきました。

伯母の正体は、鬼が化けたものだったのです。

鬼は部屋の囲炉裏の自在かぎ(鍋などを吊るすフック)をつたって天井に登り、煙出しの穴から逃げてしまいました

この姥ヶ懐というのは現在も宮城県村田町に地名が残っていて、なんと鬼のミイラまで残っています。


(村田町の歴史みらい館に展示されている「鬼のミイラ」:村田町公式Facebookより)

もちろん本物ではなく、人の手によって作られたものであることがわかっていますが、誰がどんな目的で作ったのかは定かではありません。

村田町の元商家である旧家で発見されたもので、江戸時代に作られたものだと考えられています。

かなり大きな鬼の頭と手のミイラ(作り物)だそうです。

ちなみに、姥ヶ懐の住民は渡辺綱のことを気遣い、それ以降は囲炉裏に自在かぎを付けるのをやめ天井の穴もふさぎ、さらには鬼が外に逃げてしまわないよう節分の豆まき時に「鬼は外」とは言わなくなった、とされています。

自在かぎがない囲炉裏なんて使いづらいし、天井の煙だしの穴がないと換気が大変だし、おまけに豆まきのやり方まで変えてしまうなんて、 姥ヶ懐の人々は優しすぎる…なんて私は思ってしまいますが、何はともあれ、村田町には「鬼も内」という掛け声が今も残っています。

kahoku.news

こちらは去年2020年の節分の記事ですが、ちなみに写真左端の赤い鬼(背中が映っている)は、正面から見ると、渡辺綱から取り返した右腕を持っている格好になっていて、なかなかに怖いです。

なお、村田町には、さきほどの話で右腕を取り返した鬼が外へ逃げ出したあと、再び渡辺綱に追いかけられた際、走っていて体勢を崩したときに手をついた、と言われる石も残っています。

「鬼の手掛け石」(姥の手掛け石とも)と呼ばれるその石には、今も4本の指の跡のようなくぼみが残っているそうです。

いつか見に行ってみたいと思っています。

さて、冒頭で渡辺さん(と坂田さん)は豆まき不要、と書きましたが、もともと武士の役目の中には邪気払いも含まれるという考え方もあり、もし武士の末裔であればむしろ率先して豆まき(邪気を払う意味もある)をすべきという考え方もあります。

伝説も昔話も民話も、何かが絶対正しいということはなく、その時代その時代の人々の心の鏡であり続けるのだと思えてなりません。