『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』『おんな太閤記』など数々の大ヒットドラマの脚本を手掛けた橋田壽賀子(はしだ・すがこ)さんが亡くなったというニュースを聞いて、今日はいろんなことを考えていました。
「この世からいなくなってしまったんだ」という喪失感も、享年95歳という数字に「長生きしてくださった」という感慨もありますが、お会いしたことのない橋田さんのご逝去にこんなにも感じ入っているのは、代表作とも言えるNHKの連続テレビ小説『おしん』(昭和58年~59年初回放送)の舞台・山形の情景が私自身の心に刻まれているからかもしれません。
圧倒的視聴率を誇り何度も何度も再放送され、アジアや中東をはじめとする海外68か国でも放送されたこの伝説的ドラマ『おしん』の舞台が山形県であり、県内で数多くのロケが行われたことは以前の記事にも書きましたが、
山形の風景はただ単に絶景なだけでなく、主人公しんの人生を象徴するような厳しさや過酷さをも内包しています。
たとえば、ドラマの前半で主人公が丁稚奉公に出される際にいかだで渡った最上川も、壮大で美しい景色とは裏腹に、何度も洪水を繰り返して人々の命を奪ってきた川でもあります。
流路延長が200キロを超える大河川である最上川は、ひとたび氾濫すると影響は長きにわたり、広範囲の人を苦しめます。
では最上川がなければよかったかというと、江戸時代から水運を担い山形に莫大な経済効果をもたらしたこの川がなければ、今の山形は存在しないと言っても過言ではありません。
また、豪雪で知られる山形県では雪による死者も多いものの、もし冬の間に雪がたくさん降らなければ、国内随一の穀倉地帯を支える雪解け水を得られませんし、このような例は枚挙にいとまがありません。
自然の厳しさと恵みが切り離せない、コインの表裏になっているというのは他の地域でも言えることですが、こと山形に関しては、その厳しさの度合いと恵みの深さが特に顕著だと言えます。
一方、『おしん』は明治末期に貧しい農家に生まれ、幼いころから丁稚奉公に出され過酷な人生を歩みながらも、持ち前の気概と才能で見事に大正・昭和の激動の時代を生き抜いた女性の人生を描いたドラマ。
彼女の生きる姿と山形の情景が重なる様が、脚本家の橋田さんの眼には見えていたのかもしれません。
今日は最後に、厳しくも美しい山形の絶景たちの写真を掲載して終わりたいと思います。
橋田さん、どうか安らかにお眠りください。
(上段左:雪の銀山温泉、上段中央:冬の最上川、上段右:山寺周辺の紅葉、
下段左:山居倉庫、下段中央:蔵王の樹氷、下段右:椹平の棚田)