まもなく11年目の3月11日が終わります。
3月11日は何かのお祭りではなくて大切な人のための命日であり、毎年3月11日だけ東日本大震災を思い出すというものではない、と言われ続けてきたものの、それでも10年以上もの歳月が流れた今、たとえ3月11日だけでも被災地に思いを馳せ、未来のためにできることを模索することの意味は大きくなってきているように思います。
今日ご紹介するのは、「食べる宝石」とも呼ばれる特別ないちごのお話です。
宮城県の沿岸部、仙台よりも少し南に位置する山元町は、かつて栄えた養蚕に代わり昭和初期からいちご栽培が盛んになった地域です。
1960年代には大型のハウスも整備され、小さな町ながらも大震災前は100軒を超えるいちご農家がいました。
しかし東日本大震災の地震と津波で大きな被害を受け、その数はたった数軒にまで減少。
町の特産品としてシンボル的存在だったいちごが激減する事態は、地元の人にって大きなショックだったに違いありません。
震災後、住宅の移転や新しい鉄道駅の整備などが進む中で、いちご農家の復興も官民双方で力を入れて進められました。
その中で誕生したのが、選ばれしいちごが冠するブランド「ミガキイチゴ」です。
「ミガキイチゴ」はいちごの品種名ではなく、糖度や熟度、形、重さなど様々な厳しい基準をクリアしたいちごに与えられる呼び名。
「ミガキイチゴ」の登場以降、そのまま生で出荷されるものに加え、スパークリングリキュールなど付加価値の高い加工品も生まれ、徐々に知名度を上げていきました。
そして今、新たに注目されているのが、1粒1000円というびっくりするような値段が付けられた、特別な「ミガキイチゴ」です。
「ミガキイチゴ」の中でも500粒に1つしか現れないという大粒のいちごを「プラチナ」クラスとして差別化し、東北の外へ、そして世界へと売り出そうとしています。
もちろん、農作物は高く売れれば良いという話ではありません。
それでもこの特別な値段の特別なイチゴは、復興の象徴としていちごの町・山元の元気と活気につながる希望を秘めていると思うのです。
山元町のいちごは、東京など大都市へも出荷されていますし、いちご狩りでも味わうことができます。
見ているだけで幸せな気持ちになるいちごたち。
つぶらな実の一つ一つが、震災から20年後、そして30年後の未来へ向かうためのパワーを確かに秘めています。