みちなるみちのく

東北180市町村を回った筆者が、あなたの知らない東北(みちのく)をご紹介します。

杜がない「杜の都」に降り立ったあの日 —— 私と「杜」の出会い

忘れもしないその年の3月上旬、私は翌年度から仙台で働く準備のために、仙台駅から新しい職場に向かっていました。

今日は、はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」のお題に合わせて、私の記憶に残る"杜の都"について書きたいと思います。

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仙台の「杜」を代表する定禅寺通(じょうぜんじどおり)

仙台の3月は、普通に「冬」です。

その日も当然のように雪が舞っていましたが、舞っているだけで吹雪いてはおらず積もってもいなかったので、運がよかった方だと思います。

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雪が降っていたので当然ながら昼間でも気温は0℃近くで、もちろん事前にわかっていはいたのでコートを着てきていましたが、それでもやはり雪そのものを目前にして寒さが身にしみる思いをしたのを覚えています。

 

そして雪と寒さ以上に衝撃だったのが、「杜の都」のはずの仙台に「杜」がなかったことでした。

街中に緑色の葉はほとんど見当たらずこれのどこが杜の都なんだろうかと、これからの新生活への不安ととも漠然と暗い気持ちになっていました。

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翌月4月から新しい仕事が始まり、1か月ほど経って新しい生活に慣れるとともにようやく気温も上がってきて気持ちも落ち着いてきたころ、私はある光景に目を奪われます

なんと仙台に、「杜」が出現していたのです。

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仙台市中心部のありとあらゆる場所で、生命が芽吹き始めていました。

しかも長い長い冬の間に温存していたエネルギーを一気に使って、若葉はにょきにょきと音がしそうなくらいの勢いで数が増え大きくなり青さを増していきます。

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ああ、これが「杜の都」だったんだ…。

すべてを理解した瞬間でした。

 

はじめの年の衝撃もさることながら、次の年は仙台での冬を越した後「杜」の出現を目撃し、冬を経験した後でなくては味わえない、春という季節の有難みとまばゆさをより強く実感しました。

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ちなみに西日本など日本の中でも温暖な地域では、街路樹や民家の庭木を含め常緑樹がかなりあるので、冬でも緑を目にする機会が多くなります。

常緑樹は(一部のマツやスギの仲間などを除いて)寒い地域では生きられないため、東北では必然的に落葉樹の割合が高くなり、冬と春との差がことさら強調されるのです。

 

仙台で「杜」を実感した後、私は東北の四方をめぐって、その土地ならでは、そしてその季節ならではの恵みと美しさを発見することになります。

そしてもちろん、恵みは時に厳しさとなって人の命を奪うこともあるし、私のように外から来た人間がただただ綺麗だと思っているものによって苦労する地元の人々もいて、一筋縄では理解も共有も難しいものに沢山出会いました。

東北で暮らした時間は、人間をはじめとするすべてのものが自然の中で生かされていることを、本当の意味で知る時間だったと言えます。

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杜がない「杜の都」に降り立ったあの日からずいぶんと歳月を重ね、私もあの頃よりちょっぴり大人になりました。

落ち着いたら、またあの「杜」に会いに行きたい。

そのときはきっと、あの頃には見えなかった新しい何かを、見つけられるかもしれません。