東北の主要な夏祭りを紹介していくシリーズ、今回からは山形花笠まつりです。
(昨日までの記事はこちら→青森ねぶた祭、秋田竿燈まつり、盛岡さんさ踊り)
例年8月5日から7日の3日間、山形を象徴する花である紅花をあしらった花笠を身に付けた踊り手たちが山形市中心部を花笠音頭で彩る山形花笠まつり。
山形市の人口のおよそ4倍にあたる約100万人を呼び寄せるその祭りの魅力を、今日と明日の2回に分けてお伝えします。
1.土を固める作業から始まった!?花笠音頭(今日の記事)
1.土を固める作業から始まった!?花笠音頭
山形花笠まつりの祭りとしての始まりは、昭和38年に蔵王夏まつりという別の祭りで花笠音頭を披露したことがきっかけですが(そののち昭和40年から独立した祭りになりました)、花笠音頭自体はそれよりもずっと前から山形県内のあちこちの地域にそれぞれの形で伝わっていたものです。
そのうち、花笠音頭の起源となったのは、山形県尾花沢市だとされています。
尾花沢市は山形市から北に40キロほど離れた、スイカや銀山温泉で有名な街。
この尾花沢で大正時代に行われた大規模な新田開発工事が、花笠音頭の誕生に関わっています。
工事では近隣の集落から多くの若者が駆り出され、彼らは日差しや雨をしのぐスゲ笠をかぶって、男性は土を運ぶ力仕事、女性は土を叩いて固める作業をしていたといいます。
土を固めると言っても、重さが10キロを超えるような大きな石に綱をつけて、その綱を人力で引いて盛り土に当てて固めるという重労働。
このとき女性たちがお囃子に合わせて作業をしていて生まれた土搗き唄(どつきうた)が、のちに花笠音頭に発展したというわけです。
花笠を持って踊るスタイルには、かつてスゲ笠をかぶって働いた人々の姿が垣間見えます。
発祥の地・尾花沢では現在でも「おばなざわ花笠まつり」で花笠音頭が披露されていて、山形花笠まつりとはまた違った雰囲気が楽しめます。
尾花沢での大規模工事に端を発し、今や、華やかに装飾された山車を先頭にして「ヤッショ、マカショ」の掛け声とともに1万人を超える踊り手たちが群舞する一大イベントとなった山形花笠まつり。
これにより花笠音頭そのものの知名度も格段に上がりました。
(昭和45年には大阪万博でも花笠音頭が披露されています。)
この祭りに難しい決まりはありません。
ただ、「花笠を持って踊ること」、「花笠音頭に合わせて踊ること」、そして「みんなで楽しく踊ること」、この3つだけが共通ルール。
見物者が自由に参加できる飛び入りコーナーや輪踊りもあって、気軽に楽しむことができます。
見て、踊って楽しい花笠音頭。
その歌詞には、山形の誇りが表現されています。
次回は2.編み込まれた歴史…誇りの花・紅花をお伝えします!